【STORY 田原隆徳】自分の努力で選択を正解へ!田原の方程式
山形ワイヴァンズから新加入の田原隆徳は、2020-21シーズンに群馬クレインサンダーズをB2リーグ優勝へ導いたポイントガードだ。北海道で生まれ、大学まで地元でバスケットを続けてBリーグ入りした選手は彼だけ。「北海道のパイオニアです」と語る田原の半生は、数奇な運命に満ちている。
バスケは小学3年から始めた。体験会でのフリースローがリングに届かず、その時の悔しさが田原の原点である。
「なぜ届かない? すごく悔しくて…。とにかく点が取りたくて練習しました」
だが、北海道選抜に選ばれる先輩がいるコミュニティーの中で、田原は特別に目立つ存在ではなかった。それが悔しくてまた練習を重ねる。そんなサイクルを何度も繰り返したという。
「自分の行動は“悔しい”から始まることが多い。努力してクリアしたら次の壁がやってくる。ちょうど天狗になれそうでなれないタイミングで悔しさは来るから、常に成長を続けられたのだと思います。そういう意味では運にも恵まれていたのだと思います」。
〝運〟といえば、札幌大学3年の頃、レバンガ北海道の練習に呼ばれたエピソードも良い例だ。レバンガ北海道の選手に怪我人が出て5対5の練習ができない状況となり、欠員の穴埋めという形で練習参加することに。その時の田原は「自分の成長につながるし、人生の経験としても大きい」とポジティブに捉え、プロと大学の2部練習という日々を過ごしたという。
そして大学4年、田原はまた〝運〟を手繰り寄せる。北海道開催の全日本インカレで田原は34得点を挙げ、北海道勢として13年ぶりの1勝をつかみとる。その試合をレバンガ北海道のスタッフも観に来ていた。
「真実は分からないですけど、たぶん全日本インカレでの活躍があったから特別指定選手として迎えてくれたのだと思います」。
もちろん運もあるが、欠員の穴埋めとして練習参加するなどの伏線があったからこそ道が拓けたのは言うまでもない。[ 悔しさ+努力=運 ]が、田原のバスケ人生の方程式だ。
この方程式は2018-19シーズンの栃木ブレックス(宇都宮ブレックス)への移籍の際も当てはまる。
当時、エースの比江島慎が開幕前にオーストラリアリーグへ挑戦することになり、この時も〝代役〟として白羽の矢が立った。
欠員補充とはいえ、リーグ初代王者のユニフォームを着るチャンス。序列で言えばチームの中で一番厳しい立場だったかもしれない。決してプレータイムを多く与えられた訳ではないが、必死にアピールし続けたことで比江島がシーズン途中でチームに戻った後も翌シーズンの契約も勝ち取ることに成功した(シーズン途中で大阪エヴェッサへ期限付き移籍)。
「あの時、実は北海道が大好きだったので離れたくなかったんです。レバンガを退団することになった時に『北海道を出るくらいならバスケットを辞める』とも思いましたけど、悩んだ末に『絶対に見返してやろう』という気持ちになり、栃木へ行きました。自分の選択に間違いは一つもない。選択した後に努力をして、自分の選択を正解に持っていくからです。この時の体験から、そう思うようになりました」
このマインドが、田原のその後のプロキャリアの芯となっている。
昨季、山形でキャリアハイと言える成績を残した今オフ、田原はB2へ降格した滋賀レイクスへの移籍を選んだ。契約発表のコメントにはこう残している。
「滋賀レイクスの1シーズンでのB1復帰への熱い気持ちに心打たれました。滋賀レイクスの最短B1復帰に全力を尽くします。本来いるべき場所へ必ず行きましょう」
今回も、この選択を正解に持っていくだけだ。
田原隆徳
TAKANORI TAHARA
背番号:21
ポジション:PG
身長/体重:181cm/85kg
生年月日:1994年4月25日
出身地:北海道
経歴/Career
北海道恵庭南高-札幌大
2016-18 レバンガ北海道(B1)
※2016-17は特別指定選手
2018-20 栃木ブレックス/宇都宮ブレックス(B1)
2020 大阪エヴェッサ(B1 ※レンタル)
2020-21 群馬クレインサンダーズ(B2)
∟B2優勝=B1昇格
2021-23 山形ワイヴァンズ(B2)
2023- 滋賀レイクス