【STORY 宮本一樹】けがを乗り越えいよいよ全開の大器
ファイティングイーグルス名古屋(B1)から新加入の宮本一樹は高いポテンシャルを備えた期待の逸材だ。
U16世代からカテゴリー別の日本代表に名を連ね、次代の「AKATSUKI JAPAN」候補と評されてきた。日本人としてはトップクラスの身長に加えて器用さを持ち合わせたオールラウンドなプレーが特徴だが、そのマルチな才能は最初から持っていたわけではないようだ。
幼い頃から背が高かった宮本は、小学2年から中学まで“ビッグマン”と呼ばれるセンターのポジションを務めていた。中学3年で全国中学生大会(全中)で活躍し、JBL(日本バスケットボールリーグ)が主催したビッグマンキャンプに招集された。だが、ここで壁にぶち当たったという。
「日本代表の井上宗一郎選手(越谷アルファーズ)やNBAの八村塁選手の弟の阿蓮選手(群馬クレインサンダーズ)なども参加していました。自分よりも背が高いし、身体能力もある。5番ポジション(センター)での勝負は厳しいなと感じました」
これを機に、宮本は一度もやったことのない3番ポジション(スモールフォワード)へのコンバートを決意した。
神奈川の強豪・桐光学園高校に進むと、手始めにドライブとシュートを磨きはじめる。もともと「そんなに苦手ではなかった」こともあって、最初から「それなり」にはできたという。
だが、U18日本代表で再び壁に直面する。2学年上の増田啓介(川崎ブレイブサンダース)や1学年上の吉井裕鷹(アルバルク東京)といった世代トップ選手との実力差を痛感させられたという。
「身長は同じくらいなのに、外回り(シュートやドライブなど)がすごくうまい。それを目の当たりにして、高校時代はひたすら外回りを磨きました」
早稲田大学ではインサイドでの役割が多いパワーフォーワードで起用されたが「4番(PF)でしたが、僕がハンドラーになるシチュエーションを作ってくれて、外回りもやらせてもらえる環境でした。大学4年の時はビッグマンになって、僕が起点になってパスを捌いて、点も取るプレーをしていました。今のプレースタイルに通じる部分があります」。
中学、高校、大学での経験を通じて、もともと自信のあったリバウンドに加え、アウトサイドも得意な「何でも屋」が形成されていった。
順風満帆のバスケ人生のようだが、大学3年時にプロへの道を諦めかけていた時期がある。
新型コロナウイルスの流行からようやく大学リーグが再開された矢先、左脚の骨が裂ける大けがで10カ月のリハビリ生活を余儀なくされた時だ。
大学3年といえば、選手にとっては進路を考える大事な時期だ。大事な時期に怪我を負ったことで、当時B1クラブから届いていた特別指定選手の話は白紙に。当時は絶望感を抱えながらリハビリを続けたという。
「大学の監督からは、他のプロクラブから声がかかっているという話はありませんでした。後からリハビリ期間中にもオファーがあったことを知りましたが、当時は何も知らないままリハビリをしていました。けがで弱気にもなっていたこともあり、実業団に入ってアマチュア選手としてプレーしようかとも考えました」
それでも何とか復帰を果たし、大学4年の全日本インカレに出場。そして大会終了後に監督からリハビリ中にFE名古屋から声がかかっていたことを知らされた。
「(オファーの話は)早く言ってほしかったというのが本音でしたが、一方ではメンタルが鍛えられたとも思います。大抵のことはあの苦しいリハビリ生活よりはマシな気がします」
プロ入り後も多少の痛みや違和感などけがの後遺症が残ったが、滋賀レイクスに加入した今季は痛みがほぼなくなってきたといい、練習や試合前のアップでは勢いのあるドライブや強烈なダンクを叩き込む姿が多くみられるように。
挫折やけがを乗り越えて成長した大器が、いよいよコートでその潜在能力を全開にする。
宮本一樹
KAZUKI MIYAMOTO
背番号:8
ポジション:SF/PF
身長/体重:196cm/96kg
生年月日:1999年6月17日
出身地:神奈川県
経歴
桐光学園高-早稲田大
2021-23 ファイティングイーグルス名古屋(B2、B1)
※2021-22は特別指定選手
∟2021-22 B2優勝=B1昇格
2023-滋賀レイクス